未来の自分自身を想像する
「人生設計」や「将来設計」という言葉があります。
私は、旅行など、期間の明確なスケジュールを事細かく設計するのは得意ですが、人生のように、期間の定かでないものは苦手です。
また、未来は不確実だと思っていることもあり、これまで人生や将来を設計したことがありません。
もちろん、こうなりたいという願望はありますし、努力もしますが、思うように事が運ぶなど珍しく、おおよそ、例外の連続です。
例外にも喜怒哀楽が伴います。当初の願望より高い満足度を得られることもあれば、願望の足元にも及ばない現実を味わうこともあります。
人生を大いに楽しむには、例外をも寛容に受け入れる心構えが必要なのだと、最近になって思うようになりました。
2029年12月31日を想像する
私が意識しなければならない未来の日付は、2029年12月31日です。もし生き延びていれば、50歳になっています。
老後と呼ぶには早すぎる、何とも中途半端な時期ですが、この日付は投資方針書に由来しています。
投資の終了日
投資方針書(第25版)では、投資期間を以下のように定めています。
2010年1月1日から2029年12月31日までの20年間とする。
ただし、目的を達成し、または投資者が死亡した場合、その時点までとする。
つまり、現行の投資方針書に従うと、2029年12月31日をもって、投資を終了しなければなりません。
それまでに投資期間を延長するか、または新たな投資方針を定めなければ、「償還」することになります。
その時の社会制度を想像する
現時点でおおよそ認識できるのは、サラリーマンならば60歳で定年退職し、公的年金を受給できる65歳までは無収入となり得る点です。
とはいえ、その時には65歳定年制となっている可能性もありますし、自分自身がサラリーマンかどうかも分かりません。
また、年金の受給額も受給開始年齢も、想像がつきません。
「払い損」の世代でもあり、公的年金だけでは、相当に苦しい生活となりそうです。
今のところ、50歳時点の社会制度を楽観的に捉えるのは、難しいと言わざるを得ません。
50歳の自分自身に期待すること
どのような状況に置かれているか定かでないとしても、投資資産は、相応の金額を積み上げているものと期待しています。
積立投資が可能な期間は、短くとも10年間はありますし、10年後の社会制度の行方も、現実味を帯びているでしょう。
その時に、どのような身の振り方をするかは、自分自身でも分かりません。
ただ、50歳という年齢は、そこそこの確度で未来を描け、かつ選択肢の多く残されている時期ではないかと思っています。
体は既に衰えていると思いますが、心は今以上に充実していることを願うばかりです。
また、何よりも、正しい判断力を持ち合わせていることに期待しています。
資産形成できていれば困らないはず
このように、私の未来は、未来の自分自身に託しています。
先送りと言ってしまうと悪印象ですが、これが私にとっての現実解です。
現在できるのは、50歳の私が残りの人生を楽しめるように、質素な日常生活を送りつつ、投資の道も踏み外さず歩き続けることです。
とりあえず、資産があれば困らないでしょう。それくらいの気軽さでコツコツ取り組んでいくのが、私の性に合っているようです。
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